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さすらいの天才不良文学中年

さすらいの天才不良文学中年

柚木 惇の生涯

「柚木 惇の生涯」
(朝読新聞訃報記事)
2023年10月23日(リスボン発、熊虎権太特派員)
疾風の如く生きた団塊の希望の星 柚木 惇


花


 柚木 惇(ゆのき じゅん、不良作家、詩人、イラストレーター、写真家、映画監督、映画評論家、俳優、路上観察家、聖広島女子大学客員教授。エセーやショート・ショートを書くときは「つるぎかずを」のペン・ネームを使用。通称「謎の不良中年」またの名を「さすらいのカンチョーマン」)
 23日午後4時リスボンにて客死(虚血性心疾患による急逝)。72才。生前からの本人の希望により葬儀・告別式はなし。親族のみによる密葬で、喪主はY子夫人。

 54才で一部上場企業を早期退職後、67才で文壇にデビュー。72才で逝去するまでの6年間を芸術活動時間とした疾風怒涛の惜しまれる人生であった。

処女作「闇の向こうに跳べ」が車谷短吉賞を受賞。代表作は、「ろまんが俺を呼んでいる」(オナキ賞受賞)。詩集「しゃれ泥棒」は高橋不順子賞受賞。本人が製作監督主演映画「その男、無謀につき」は、カンロ・グランプリ金鳳賞受賞。多芸に渡り、幅広いジャンルで活躍する。中年・団塊の星を代表する不良芸術家として世界から注目され、特に若者には、遅れてきた寺山修司や第2の植草甚一として崇められ、熱狂的なファンが多かったことは有名である。「さすらいのカンチョーマン」の由来は不明。

 57才からポルトガルへのロングステイを開始し、居所横浜・故郷広島・さすらいのアジト/リスボンの3都を往復していた。放浪や温泉好きで、行方をくらませることも多く、編集者泣かせであった。

人を喜ばせるのが好きでバカばかりやっていたが、やはりバカだったことは関係者のみに秘されていた。無類の酒好きでもあり、特技は「酒を飲みながらのバカ話し」「創作をしながらの飲酒」。「66才を過ぎたら、エロ爺・好々爺になり、ポルトガルに骨を埋める」が口癖であったが、エロ爺以外適わなかった。私生活は一切秘密で、家族のプライバシーを守った。

団塊の希望の星は彗星の如く現れ、疾風のごとく早世した。



柚木惇のペンネームの由来

「柚木 惇」(ゆのき じゅん)のペンネームの由来を述べる。


薔薇


 まず最初に、本名のうちの一字をペンネームに使いたいと考えた。それで、おいらの本名の一字を「柚木 惇」の中に入れることにした。

 次に、敬愛する吉行淳之介にあやかり、吉行淳之介を彷彿とさせるペンネームにしたいという思いがあった。また、学生時代、民法の権威の一人であった柚木馨教授(神戸大学名誉教授)の名前の響きが好きであった。

 それで、最初は「柚木淳之介」を考えてみたが、如何にもわざとらしい名前である。次に、「柚木 淳」としてみたが、どうやらこれもしっくりこない。

 そこで、「柚木 惇」にしてみると、これが字体の納まりが良いのである。

 なお、柚木は「ゆずき」とも読むが、やはり「ゆのき」と読みたい。なお、柚木姓は鹿児島県に多いようだが、全国に分布している姓でもあるようだ。

 以上の経緯であるが、「柚木 惇」という名前で予選通過が重なったので、おいらにとって「柚木 惇」は早くも愛着のある名前となっているのである。


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